山種美術館 〒150-0012 東京都澁谷区広尾3-12-36 |
Establishing Modern Art in Japan |
日本美術院の画家たち―横山大観から平山郁夫まで― |
会期: 2010 11/13(土)〜12/26(日) 展覧会は終了しました。 |
山種美術館は、所蔵作品の中心である近代日本画の中でも、特に日本美術院の画家の作品が充実し、院展出品作だけでも134点を数え、春の院展出品作を加えると138点を所蔵している。本展覧会では、院展出品作品を中心に、横山大観、菱田春草から小林古径、速水御舟、奥村土牛、そして平山郁夫まで、明治、大正、昭和、平成にかけて活躍した院展の画家たちの意欲的な作品の数々が展示されている。 |
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2010 11/15 プレス内覧会 |
岡倉天心により、1898(明治31)年に在野の美術団体として創設された日本美術院は、茨城県五浦への移転の 低迷期を経て、天心の一周忌にあたる1914(大正3)年9月に大観、下村観山らによって再興されます。 |
財団法人日本美術院は、1898(明治31)年、東京美術学校(現、東京藝術大学)校長の職を辞した天心が、ともに同校を辞職した橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草ら17名を含む26名の正員によって旗揚げした研究団体である。天心の理想であった
「美術の大学院」 を実現するためであり、その理念は、「日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護し、かつ藝術を奨励して未来に繋げる道を指し示す」 というものであった。しかし、同院は資金の欠乏により、1905(明治38)年に茨城県・五浦へ移転、1910年に天心がボストン美術館
中国・日本美術部長として渡米したことにより、事実上の解散状態となる。1913(大正2)年9月、天心は世を去るが、彼の一周忌には、古典研究の上に絵画の新生面を開いていこうとする天心の遺志を受け継いだ大観、観山らによって日本美術院は再興される。 |
《春の水・秋の色》 |
《舞う(舞妓)》 |
《バビロン王城》 |
青年時代の大先覚者 天心岡倉覚三(1862〜1913) |
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略 年 譜 |
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1862 (0)横浜に生まれる |
1893 (31)美術調査で初めて中国を旅行する |
日本美術の偉大なる一面は、藝術即人生なるにあり。百千の文化を朝宗せしめて自家薬籠中の物と化すとともに藝術その物と社会との間には完全なる融合をなし、田舎に行くも床に花あり、坐するにも礼あり、生活すべてが藝術なり。 しかるに今やさかんにこれを撲滅しつつあり。いかなる態度をもってこの際に処すべきやは、大いに考慮を要する問題なり。これがために西洋を知り、また東洋を知るの達識を要す。いたずらに盲目的なるは不可なり。西洋にても今日藝術は大いに迷い居るにあらずや、その見るべきものはドイツの音楽とフランスの絵画とのみ。 しかしてその仏国の絵画すら、今日すでに動揺せるの感なきあたわず。吾人の冷静なる見識を要するゆえんなり。 |
URL:http://www.yamatane-museum.or.jp/ |
参考資料:Press Release他。 |
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